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『愛しき永遠の...』(ロジェ・ジルベール・ルコント著)、『彼の友への手紙』(ルネ・ドーマル著)、これが『ナジャ』を或る人に授けるべく手放した途端、略同時に私の許にやってきた。一体全体如何なる「客観的偶然」の為せる業か?不思議でならない。何故なら私は『ルネ・ドーマルが見たもの』と題した未完成の絵をそのままパリへと持ち来たり、盟友の古賀郁と一緒のアパルトマンで展覧会出品に間に合わせるべく、旅の前半は画材を調達しにパリ各所の知られざる画材店を訪う以外、ほとんど外出できぬ状態だったのである。古賀は目的の絵を辛うじて仕上げたが、私はとうとう間に合わなかった。お陰でその描きかけの絵を再び日本に持ち帰り、新たな機会である来春のスペインでの展示に向け仕上げねばならぬとは、はっきり言って忸怩たる思いの極みだった。しかし今はそれでよかった、否、そうあるべきだったと納得している。
この絵は両三度描いていて、その都度寸法が大きくなって<下図>、<大下図>、<本画>となって、丸で日本画の行程のようになってしまった。しかも最後の<本画>が微妙に改変されて自分でも戸惑ったまま、そこで止ってしまっている。 此処で大きく「客観的偶然」が発動する。ルネ・ドーマルとロジェ・ジルベール・ルコント、ロジェ・ヴァイヤン、ロベール・メイラ、ジョゼフ・シマ達『大いなる賭』(ル・グラン・ジュー)グループはアンドレ・ブルトンによって「あまりにも秘教的」と断定され、シュルレアリスムから真っ先に除名された若きグループだった。アルチュール・ランボーが出たアルデンヌ地方、シャルルヴィルの周辺都市の出身のルネ・ドーマルとランスのリセで学友として出会った彼等の実験は、稚戯に類するものから果ては死の探求めいた危険な遊戯にまで発展したが、彼等が性急に求めたものは,先輩格のブルトン達が従軍経験から得た厭世気分とは異なった、先鋭化したエランヴィタールではなかったか?と私は以前から睨んでいた。即ちそこにあるのは対象への憧れ、過剰なイマージュとの一体化を目指す強迫観念めいた傾きである。胡乱な言い方かも知れないが、それは見る能わざるもの、絶対を垣間見たいとの執念き憧れである。故に二十五年前、完全視野協会(ガンツフェルトゲマインシャフト)を結成するにあたり、シュルレアリスムの批判的継承の先へと進む為には、最終的には『大いなる賭』グループの実験作業を検証せねばならない、そう直観したのである。 今回スダンのCHIMERIA FES 2012に参加するにあたり、スダンがシャルルヴィルの隣町であることから、シャルルヴィルのランボー博物館に寄ることを計画していたが、止む無き事情で果たせなかった。ロバート・ベノーサの追悼展も兼ねたFESの催事への配慮から、ロバートの未亡人にして彼のミューズであったマルティナ・ホフマンによるベノーサのメモリアル映像を見る為に、邦人参加者達と共に滞在予定の丸一日を割かざるを得なかったのである。余談ながら、ロバートとマルティナの愛のメモリーといった映像に図らずも落涙した。昨今歳のせいか何にでも感動して涙を流すが、人生と生命の孤独の本質という単純な事実を突きつけられれば、如何なる鬼でも来し方を振り返らざるを得まい。同行した同い歳の画友である大森伸樹氏は、「ええっ?何処のシーンを見て泣いちゃったの?」と怪訝な顔で尋ねてきたが、夫婦仲良く「ふたりでブランコに乗ってるシークエンス」と答えると「幸せ一杯な姿ね、あれにはあてられるよね」と得心がいった様子であった。 ここでの客観的偶然とは、ルネ・ドーマルの出身したブルジクールとロジェ・ジルベール・ルコントが出身したランスの間をTGVで通り過ぎるだけと思っていたら、ランスに行く用事が出来てしまったということだった。この客観的偶然が何によって派生したかを言えば、それは明らかに「友愛」の秘跡のようなものだと今では明瞭に言う事が出来る。今期三週間に及ぶ展覧会の為のパリ滞在は、あげてこのフラテルニテの呼び声に無意識に誘われ続けていたのである。 出発せねばならない。続きは絵と同様、日本で書こう。
by shojitanaka
| 2012-10-31 09:33
| essey
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