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昨日は久々にルーヴル美術館に足を運んだ。どの位久々かというと一年振りということになるが、昨年行った時は、迂闊にも休館日に出掛けてしまい、クールベ展を見損なってしまったのだった。それ以前となると、時は30年を遡る。従って、ピラミッドを中心にした改装後のルーブルの様子は、「ダヴィンチ・コード」で観て、へぇ、随分変ったものだねと感心する程だったのである。エコール・ド・ルーヴルに通っていた頃は、うっかり廻廊を間違えると迷子になってしまうので、何時もセーヌ河岸の東南口からのみ入っていたが、今回ピラミッドから入ったのは勿論初めての事。バスチーユ、ナシオン、シャンゼリゼ、ナポレオン三世時のオスマン計画(都市改造)以来、何でも放射状を好むフランス人の考えが解らない。中心からアクセスするには便利だが、この放射状という奴、一筋順路を間違うと蜿蜒と歩かされる羽目になる。 実は今回、まるで初見学者の如く迷ってしまったのだった。確かにルーヴル宮を各翼ごとに丹念に見て歩くと一週間通っても見切れない。人類史に即して常設35,000点を網羅的に見るなどひと月かかっても無理だろう。リシュリュー翼から入って、サモトラケのニケ、ミケランジェロの捕囚などを眺めながら、いっさんにパオロ・ヴェロネーゼのレヴィ家の饗宴のある大廻廊からレオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』、『ジョコンダ』のある部屋に通じたと思う確かな記憶が初めから脆くも崩れる。 主に見たいのはここルーヴルでも、フランドル及び北方ルネサンスに偏しているので、先ずそこを目指す。が、フランス芸術を顕揚する方針に則して、何故かフランドル絵画ではなく、プロムナードはフランコ・フラマン派(フランス中世後期絵画)から開始され、国際ゴシック様式の佳品もあるが、アンゲラン・カルトンの『アヴィニョンのピエタ』に至るまで、じっくり見過ぎて瞬く間に時間が過ぎてしまう。黄金背景に装飾篆刻が、ジョットブルーに代換され、聖性の表現にリアルな空間表現(風景描写)が出現するのに、天上界と地上界を結ぶ心理的パースペクティブを要した。地上は被造物故、エイドス(形相)は描き尽くされべきである。その無限の組み合わせは地獄に。そのヒューレー(質料)は魂魄故に天上界に吸引される。 そんなことを思いながら次の廻廊に進むと、やっとメムリンクその他の小品を収めたウィンドーが現われる。妻が「あら、あなたが描いているのとそっくりな絵があるわ。まったく同じに見えるわね」と私を促す。「そりゃそうだよ模写だもの」と応えつつ、我が眼を疑う事態。画集の2Dから再構成した二連龕の額縁の厚みが略同じだったのだ。板はオーク材、地塗り以外、絵具は鉛白とラピスラズリを使えぬが、実寸再現完全コピーを目指して十年以上だらだらと模写してきたせいか、宛らその絵を自分が描いたかの錯覚が起こったのだ。憑依しているのは私の方だが、全ての部分が観念の己の筆先で完全に一致するそれは奇妙な感覚だ。よく展覧会で己の絵を点検し、吟味する感覚に近いものを覚えたのだ。 何と不遜なことをとも思うが、模写の動機そのものが勉強などではなく、この絵が欲しい! という徒な願いに発している故か。即ち盗人である。否、ストーカーのそれだ。ただこれだけはメチエに対する経験的な実感によって言うことが出来る。一見可愛いメムリンクさえ、その想像の下絵から丹念に起こしていくと、恐るべき手技を感じる。線描のタイトロープを渡る綱渡りの達人のそれだ。嘗て、徒弟修行は師のデッサンを模写することから始められた。師が如何に完全無比であるかを思い知るそれは手習いであったろう。練達すればする程、それを何時か凌がんとの執念き思いが植え付けられる。修行の言葉はここから発する。これぞ職人の始まりだ。 私が実感したのは、この職人意識との時代を超えた遭遇ではなかったか? と言う事だ。図らずも私はメムリンク工房に徒弟として入ってしまったらしい。徒弟なれば、師と寝食を共にし、共同製作などではなく完全に師の筆と一体化する。すると映画のように、それは私の作品でもあるという思いにかられて当然とすら感じられるのだ。私はとてもいい経験をしたのだな、ふとそんな思いが兆した。 この稿はマンテーニャに話題が及ぶまで、まだまだ長い。どうやら身体だけとっくに日本に帰ったものの、心だけ彼の地に残してきてしまったようだ。旅先での如何ともし難い描画への飢えを満たすべく、即座に絵を描き始めもしたが、全く足らない、全く足らない、「能う限り」、「能う限り」、そんな言葉が頭の上を旋回し続けている。 帰国早々、突然、イタリーのジェノバから私の絵が欲しいと連絡があった。どうした巡り合わせだろう? アナベラ・クラウディアが動いてくれているのだろうか? ならば一言ある筈だ。面妖である。
by shojitanaka
| 2008-11-16 15:52
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