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2015年3月13日FB投稿再録 早朝というには早すぎる真夜中。ふと、掌編小説の着想のようなものを思いながらの目覚め。サミュエル・テイラー・コールリッジ / Samuel Taylor Coleridgeの『クーブラカーン(Kubla Khan)』みたいな夢の中の詩的創作みたいなことが、私にはよく起きる。 私は小説家でもなんでもないので、締め切りに追われている訳もなく、何も夢の中でまで物語をこさえなくてもよかろうに、と思う。しかもプロットや落ちは、目覚めながらつらつら思い起こすので、今からここで書いてもいいくらいだ。 が、ここでの即興創作文章はやめておこう。別の機会に書く。即興画の試みは、私の中の連続性としては依然続いているが、ルーチンワークは退屈なので、敢えて公開する程のこともない。 詩人だの、哲学者というのは、職業でもなんでもないので、取り上げやすい。なので、このところの投稿は自分でも気にいっている。 子供の頃、「大きくなったら何になりたい?」と問われ、「鉄人28号!」と答えたら思い切りほっぺをつねられた。これだから<鋼鉄の頬>が必要だと痛感した。人の職業なんぞ聞いて、過剰にサービスばかり求めんでくれ給え。 今日のお題は李箱(イ・サンYi Sang1910- 1937)http://fr.wikipedia.org/wiki/Yi_Sang 享年27歳。そもそも才能のあるなしに関わらず、疫病や戦争や災厄があると天才なんて未遂のままごまんと死んでいる。作品も本人も発見の手立てもないまま、闇から闇、否、天晴れから天晴れへ、か。 李箱は朝鮮人だ。だが、日本語の創作もあり、今で言えばバイリンガル。昔で言えばフランス語で『サロメ』が書けたオスカー・ワイルドと同じくらいに考えねばならない。そして彼はモダン詩人。ダダイスムやシュルレアリスムをきっちり咀嚼していた。 この「▽の遊戯」をどう音読すべきか、これは私の独断だが、敢えて「デルタの遊戯」としたい。そうした上で、これはとてもエロティックな詩なのだと私は解釈する。アルチュール・ランボーの『最高塔の歌』を男性限定としてしまう危険に等しいけれども。 「▽の遊戯」 李箱(イ・サン) △ハ俺ノAMOUREUSEデアル 紙製ノ蛇ガ紙製ノ蛇デアルトスレバ ▽ハ蛇デアル ▽ハ踊ツタ ▽ノ笑ヒヲ笑フノハ破格デアツテ可笑シクアツタ すりつぱーガ地面ヲ離レナイノハ余リ鬼気迫ルコトダ ▽ノ目ハ冬眠デアル ▽ハ電燈ヲ三等ノ太陽ト知ル × ▽ハ何処ヘ行ツタカ ココハ煙突ノてつ片デアルカ 俺ノ呼吸ハ平常デアル 而シテたんぐすてんハ何デアルカ (何ンデモナイ) 屈曲シタ直線 ソレハ白金ト反射係数ヲ相等シクスル ▽ハてーぶるノ下ニ隠レタカ × 1 2 3 3ハ公倍数ノ征伐ニ赴イタ 電報ハ来テイナイ 1931・6・5 #
by shojitanaka
| 2026-03-14 23:21
ハンス・メムリンク『ジャン・ド・セリエの二連祭壇画』 (1490年頃-パリ.・ルーヴル美術館蔵) 2014年1月23日 FB記事再録 · では、学ぶためだけに模写を描いているのか?といったら、最早、技法や古典の芸用材料技法に就いて、 学ぶべきことは何もありはしない。 己の絵は、この世の誰も代りに描いてはくれぬので、自分で描かざるを得ぬのが画家の宿命である。 それでは何故充分老いた今に至って模写などするのか?正直画集などでは飽き足らず、その古典絵画が欲しいからである。仮に巨万の富があろうとも、己の全てを擲っても、手に入ることの叶わぬ美術館の所蔵品、即ち人類の宝が欲しい。 では、どうすればいいか?侵略者となって強奪するか、怪盗ルパンになって完全犯罪、鮮やかに盗むか、完全コピーをするしかないのである。邪道?そう、邪道そのもの。なので、蜜蜂のように、己の巣に少しづつ少しづつその蜜を移し替えるべく運び続ける。 そして、完成しなければしない程、愉しみ続けることが出来るのだ。 ルーブル美術館にあるこのメムリンクの可愛い絵の模写を、私はもう20年以上愉しんでいる。だから、一年に1㎝四方位しか描かない。そして完成したら堂々と私のサインを作品に入れ、合法的な完全犯罪を達成するのである。
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by shojitanaka
| 2026-03-14 22:05
『ノーチラス号の夢』 夢の中で海底二万里の絵を描いてやろう念じている。二十歳の頃、パリはポン・デザール袂の河岸で古本を鬻いでいた全面髭面のブキニストから購った、エッツェル版[脅威の旅」シリーズ初版『海底二万里- Vingt mille lieues sous les mers』を己の書架から引き出している。 どうせなら自分が乗り込める程のスケール、となると1,000号クラスの絵か?と構想に夢中だが、実際にそういう家を建てた筈だと夢の中で思い込んでいる。そもそも私は子供の記憶で児童書の『海底二万里』を母方の叔母から手土産として貰い、その表紙を鮮明に覚えている。しかしながら、その時読んだ覚えがないので、視覚的なイメージの大半がカーク・ダグラス / Kirk Douglasが主演したディズニー映画『海底二万マイル-20000 Leagues Under the Sea』と似たり寄ったりとなっている。 更にはロサンゼルスのディズニーランドに中学一年の夏(1969年)に海外修学旅行で参り、現実のノーチラス号を模したアトラクションに生まれて初めて乗船したのだった__まるでピノキオのジュゼッペ爺さんになって、鯨の腹に入り込む気分__未成熟ながらここで「驚異の旅」を原体験に刻み込んだ。当時のアメリカ人は前年のアポロ計画月面着陸成功のお祭り気分の余韻がまだ街に溢れていた印象だった。方や日本人は太平洋人りヨット横断の二番煎じの若者がサンフランシスコに辿り着き、歓迎を受け、我々もそのレセプションに招かれて座談会に同席し、私達まで冒険旅行に便乗したような気分だった。一人馬鹿な友達が「たった一人で寂しくなかったですか?」と質問し、「命懸けだから、忙しくてそんな事気づかなかったよ!」と青年は失笑していたものだ。 ディズニーランドでは、先駆的アンドロイドロボットのリンカーンが演説するアトラクションも演っていた。オートマタ人形のアメリカ版大仕掛け、少しも発明でもなんでもないが、何でもかんでも大仕掛けで大人も子供も眩暈に引き込むのが、アメリカンファンタジーの正体である。 それはさて置き、ノーチラス号内の調度を実現しようと、建設会社のモデルハウスのような建物、バロック調に装飾されたショーウインドーのテラスを建てていた筈だとそこへ向かう。無人のそのテラスは、陽を浴びて翼状に拡がって佇立していた。が、それが舞台の書割のように思えて、私はこんな絵を描こうとしている訳ではないとしきりに訝しんでいる。 絵などそもそも遊びの産物であり、画家を生業などと思う仕方の限界を設ける輩の卑屈な考えが、私はそもそも気に喰わない。欲心は咎めぬが、_身の程を弁えず、ただ欲張るのみの振る舞いは、己の浅ましさを自ら刻印するも同然。所詮、我利我利亡者のその先には切った張ったしかあるまい。仕事?詰まらぬ約束事だ。 驚異の旅は冒険に故に、すぐさま出立せねばならぬ、と夢の中で念じている。 もっと皮相を論う為には、オケアノスの「真実の口」を今一つ拵えねばなるまい。全ての承認欲求をぶった斬る、他人も羨む排水溝(口)。
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by shojitanaka
| 2026-03-09 12:32
![]() 『ロイヤルブルーの夢』を見る。チューブ絵具はラベルを剝くと魚に似ている。それを絵具箱に列べるとと宛ら鰯の銀鱗のようだ。そこから一尾取り出して、最初の色をキャンバスに盛る。ロイヤルブルーだ。ラベルがないので、カードゲームの「神経衰弱」だ。だが同じ色は一色も無い。何がしたいのかって?そのものズバリ、当てずっぽうな絵が描きたいのだ。キャンバスは窓だと云われる。何もない空間は白い?黒い?赤い?黄色い?そんな事は気にせずとも良い。それを言うなら、キャップを締められたチューブ絵具にしてからが、開封するまで何色でもない。では、チューブ絵具の形状のように首のある魚がいるのかい?居るさ、沙魚(ハゼ)だよ。 だったら、括れた胴や細っそりした足のある....煩いなあ、そりゃ言い掛かりってもんだ。 その絵の続きはあなたが描きなさい。
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by shojitanaka
| 2026-03-06 12:08
【 ナルシシズムの情景Ⅱ 】展 Exposition collective « Scènes de narcissisme II » ナルシス神話は、性を越境するアメイニアスの視線、そして無声のエコーの失恋の<愛の美学>ならん。 美を戦慄と呼ぼうとも、無と定義しようとも、悲恋の無数の花となって、今も涼ろかに震え続けている。それを<ナルシシズムの情景>と言おう。 par 源 彰 /Akira Minamoto Le mythe de Narcisse est peut-être l'esthétique de l'amour, le regard d'Aménius qui transcende les frontières du sexe et l'écho silencieux d'un amour perdu. Que l'on qualifie la beauté de frisson ou que l'on la définisse comme néant, elle continue aujourd'hui encore de trembler doucement, telle une innombrable fleur d'amour tragique. Appelons cela « la scène du narcissisme ». 2026年2月21日〜3月10日 12:00-18:00(最終日のみ16時迄) (水・木・金)定休日 神戸元町歩歩琳堂画廊 〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通1ー10−11 元町エビスビル3階 TEL/FAX 078-321-1154 Galerie Kobe Motomachi Buburindo 21 février - 10 mars 2026 12h00 - 18h00 (jusqu'à 16h00 le dernier jour) Fermé les mercredis, jeudis et vendredis Adresse : 1-10-11 Motomachi-dori, Chuo-ku, Kobe, préfecture de Hyogo, 650-0022 Bâtiment Motomachi Ebisu, 3e étage TÉL/FAX : 078-321-1154 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() #
by shojitanaka
| 2026-02-23 06:18
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