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早くもパリから帰国して8日余り経っている。 「旅への誘いはまさに椿事や事件との出会い。遭遇したくない魔もあるが、それも記念や思い出となる。その意味で絵も心の旅の記念的行為、行楽の数々の記録や旅の土産ともいえる。絵を道連れに見る人も誘われて絵の中で新たな旅をする。」そんなことを以前旅をテーマとした展覧会で言った覚えがある。 嘗て若くして国を出たが、舞い戻ってからは、陸封されたかの如く「長旅」は心の中で思い描くばかりで、絵の中にしかなかった年月だった。長く稼業の営業職にあったので、国内では望まぬ旅は幾らもあったが、夢は却って枯野をかけめぐるばかり。今にし回顧すればこの5年、瘧が落ちたように海外に毎年二回、二人の息子や妻を伴って行くようになっていた。 豪州はサンシャインコースト、墺太利はウィーンに二度、英国はロンドンに二度。仏蘭西はボーヌに、パリは四度、白耳義はゲント、ブリュッセルとブリュージュには二度、独逸はベルリンに一度、そして西班牙はマドリードに初。こうして列記してもよくもまあ繰り返しの旅を続けたものだ。帰って間もないというに、五度目のパリがこの10月に控えていて、最早旅でなくビジネスと化そうとしている。表題通りには、旅はいっかな終らないのだが、パリでの展覧会も、マドリードで遭遇した盗難事件も、或る心の領域では、非日常に組み込まれざる、驚異(メルベイユ)に価しない茶飯事ではなかったか?との思いが強い。 「幻滅こそは幻想の糧である」との言葉を、 IFAA/OBLIQUE展パーティーの席上で言い残して旅立ったが、そう、いつもの程良い秋分の思想が胚胎して、成功裡に終った展覧会(『二つの世界の扉ー日仏幻想芸術展』"A door between two worlds"於:クリチャンヌ・プジョー文化センターアトリエZ/パリ)が半分の出来であったことに安寧をすら覚えていたのだ。 そう、いつも通りの半分で、残り半分が未来に投機され続ける。こうして私は循環を常に波に変えて何処かへ辿り着こうとし続けてきたのだ。今私は引き潮に戻されながらも、何時も未来にしか関心がないことをあらためて追認する。所が、先に語った心の或る領域では、まるで光明に初めて出会ったかの、激しい動揺があったのである。まるで時間が止まってしまったかの感。 上掲の ロヒール・ファン・デル・ウェイデン/Rogier Van del Weydenの『十字架降下』 /“Deposition”との出会いである。絵を見て初めて泣いた。激情に捕われ易い己が性質を畏れ、日頃ニルアドミラリに振る舞う癖がある。故に冷血ですらあらんと努めているが、“Deposition”と対峙した時、訳も解らず滂沱の涙が溢れてくるのを止み難かった。この絵が死を廻る存在の根源的な問いを投げかけるもの、とばかり思っていた知見から程遠く、ただただ万人の宿命を描く、号泣のコンパッションが余す所無く描かれていた、その事実に激しく動揺したのである。一瞥以来、マドリード滞在中何度もこの絵と対峙したが、印象は一切変わらぬものだった。これを「お涙頂戴」とあざとい演出と思うのは近代自我に毒され過ぎているだろう。 J.K.ユイスマンスの『彼方』や、ヨハン・ホイジンガの『中世の秋』に描かれるスペクタクルと程遠い時代のことである。大衆が無垢だったとは言わぬが、救いが日常的に必要な世情でもあったということだ。象牙の塔の高度な信仰箇条のみで人々を導くことは適わない。 これは家族の肖像である。勿論、象徴的にだが。故に此処には私が居る。あなたが居る。同胞(はらから)が居る。そして母子が居る。信仰を離れて見れば、ここには親不孝者の死しか描かれていないとも言える。更には父親は始めから不在だ。 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン/ Rogier van del Weydenはヤン・ファン・エイク/Jan van Eyck程のゴリゴリの信仰者ではなかったろう。ロヒールは情調を無視出来ぬドラマの人。しかもヴィリエ・ド・リラダンの如く著しい共感力を持った人だった。若しかしたら、思い入れが強すぎて、涙し乍ら絵を描くような人ではなかったか?そう確信したのだった。勿論これは直観像で捉えたセンスの世界のお話。私は学者ではないので、説を唱えてその正否を問う愚には与しない。それにこういう論議は、絵という鏡に映し出した私自身の姿に他ならない。母を思えば誰しも嗚咽せざるを得ない。アダルトチルドレンでもない限り。 付記:ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの『十字架降下』は、構図に於いてレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に伍す程の知的操作がなされていることは言を待たない。そしてこの知的操作故に抑制され過ぎたこの二人の天才に、相似通った人生があったのではなかろうか、と私は想像を逞しくするのである。どちらも執念き願いが絵に横溢した画家であることを、人々は度外視し続けている。
by shojitanaka
| 2011-02-24 03:41
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