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金曜の晩とあって、アメリカ人らしき若い衆が騒いでいて、眼が爛々。おまけに我がアパルトマンの呼び鈴を通路扉の開錠ボタンと何度も押し間違えて、ピンポンピンポン五月蝿い!! 流石に堪忍袋の尾が切れて、「誰だお前ら!!」と戸口で怒鳴ったら、「シィーッ…」とか言って皆慌てて逃げて行った。へぇー、アメリカ人でも<静かに>の合図をする時「シィーッ...」とか言うんだ、と妙に感心したのは良いが、己の怒鳴り声で完全に覚醒。
そう言えば昨夕はちょっとナーバスだった。搬出は邦人のみかと思いきや、次々と仏人作家たちも現れ、フランス財務省の駐車場の番人に急かされて、皆大慌てで搬出作業。長話する訳にもいかず、そそくさと別れの抱擁でまた来年再会を約する儀式。遅れて来た大森夫妻もとうとう風邪を召されて早々と帰路に。浅野信二夫妻と合流したものの、車ではない我等、小一時間程、昨日のフィニサージュの残り物のビールで乾杯するも、今後の企画の情報交換にばかり忙しく、ゆっくり歓談もままならず。何より昨日パリに着いたばかりで時差惚けと突然の冬のお二人を無理に食事に連れ出す訳にもいかず、名残惜しくも会場を出て直ぐ別れたのだった。 「朋有り遠方より来る」は当たり前の事乍ら、また日本で!またパリで!の挨拶が何だか心に沁みた。私独りでは出来ぬことを多くの古き友、新しき友たちに支えられてここまで来た感慨が一入だったのだ。私は普段皮相なことばかり口にするが、人情にだけは厚い気でいる。殊に損得勘定抜きで私の理念を尊び、手助けしてくれる人々には、何故か「機会」だけは運勢的に豊富に有しているので、分てるだけ分ちたいと常に願い続けている。だがそのことで、その人本来の在り方に影響を与えてしまうことも、ままあると気付かざるを得ない。機会とは皆がただ持ち回っているだけで、得れは必ず失う定めのもの。寡占もならず、厄介だからと人に押し付けても去ってもくれぬ悲喜こもごも。良い事尽くめでは決してない。 善人ぶる心算は毛頭ない。さればこそ人を容易く信じず、狷介に人を寄せつけぬ癖もある。だが、私は見かけ程強靭ではない。誰だって赤子として弱く生まれ、長じて如何に強くなろうとも、孰れは弱り果てていく。そして、その時々の我欲に塗れて生きて行かざるを得ぬ必定。ある程度の事は仕方あるまい。許したり、許されたり。絵の周辺に関ることは、全て自己責任、それ故の自由でもある。 絵は真心の産物だが、審美行為は厳正なものだ。美は一介の生を超えた競合行為の繰り返しの中にこそ花開き、そしてそれは生の全肯定でもあり、美神への無償の讃歌。故に報いも酬いも同じ相のもとにある。自他の別なく、正しく己も絵も凝視し続けよ。そこでは虚偽だけは免じられない。褒める時も。貶す時も。他者との競合に見えて、それは誰にあっても生の全体性という無返答な問いへの、苛烈なアプローチに過ぎない。時に決死であり、時に夢幻泡影であり、在っても無くてもよい何ものかに取り憑かれた人々の、時空を超えた掟。誰に頼まれた訳でもない。それは私の理念ですらなく、只管先人の後を追っているだけだろう。 パリに私を導いてくれた人が居た。恩人は数限りないが、その方を頼り、その方のお陰で今の成果がある。パリ在住40年の妻の友人なのだが、何の欲心もなく見守って下さる方の名を許可なく曝す訳にも参らない。また御迷惑をおかけします。そしてD.Dや天使的な方々、千回のありがとうを!私達はまだ途上です。 搬出日の記念写真。(左から Shinji Asano Shoji Tanaka Dominique Desorges Nobuki Omori)
by shojitanaka
| 2013-10-12 19:07
| exposition
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