通り魔や人殺しの美学、それが美の審級ならば、そんなものこの世になくていいよ。少なくとも私は愛さない。嘘で他人様を褒めたことも、貶めたこともない。汚れる。心底醜い。故に讃美のみが私の仕事だ。「時間よ止まれ、お前はあまりにも美しいから」。言われる側が己である必要など毛頭ない。まして美しい子供のみ欲しいなどと望むべくもない。サチュルヌスの喩え。認証欲求の化け物が、己の子供ばかりか、他人の子供まで殺めるなどもっての他。人生暇つぶし。遊んで頂いているのだ。クピドが己の矢で倒れたのでは話しにならん。そうやって私は悪事に手を染めずにやって来た筈だったが...。
この冗談コラージュは、死んでいるのではなくて、己の媚薬に痙攣しているのだ。ほら、誰かさんが言ったろう? 美は痙攣的だって。発作って意味だよ! 存在しないとも。
親友の御母堂が亡くなったと聞いた。大変だったね、ずっと....私には何も出来ないが、君をこの世に生み、育み、あまつさえ多くの人の子を慈しんだであろう君の御母堂の御冥福を祈らせて頂きます。君の部屋で屯していて、君と一緒に私も怒られたことがありました。「子供達が昼寝してるんだよ、五月蝿いよ、あんたら!」。憚りもなく大勢で談笑するは、大音量で音楽聴くは、大人げない私どもを叱って頂き、ありがとうございました。合掌。